夏月夜十景 第九景

『夏月夜十景 ―少シ昔ノ怪異ナ話―』12日に幕を開け、本日3日目、小さな会場での全5日間7ステージの短い公演ですが、昨日までに3ステージが終了。おかげさまで2ステージが満席、いよいよ本日より折り返し。お席の方は本日昼と明日昼が満席、本日夜と明日の夜、それから千秋楽のお昼は多少ですが、余裕があるようです。よかったらふらりと遊びにきてください。

お隣の花園神社では椿組の公演が開催中。個人的なことになりますが、30数年前、私自身も俳優として出演しており、それ以来のご縁となっています。その椿組の花園公園も今年が最後とのこと。3年前私が演出をした『マリアの首』の出演者が主宰のご子息と結婚され、彼女から初日の差し入れをいただいたり、会場近くの中華料理店でとっていたところ、懐かしい出演者と出会ったり、夏の新宿ならではの出会いが続いています。

本日は今作での資料出典のほぼ全てを編まれた東雅夫さんが観劇予定。東さんは5年前、ご自身が選考委員長を務められた文学賞の受賞作『七月の客人』もご覧いただいており、今回二度目となります。

色々なご縁というしかない出会いをいただきながら人生は再会の喜びに満ち、時に懐かしくそして切なく時を刻んで参るのでございます。
残り4ステージ、しっかりと努めてまいる所存でございますのでご観劇のほど、御願い仕ります。
以上、今作ベースの講談調でございました。

『夏月夜十景』第十景はよろしければご自身で目撃なさってくださいませ。

夏月夜十景 第八景

「二十六夜待ち」
このワードを検索するとまずヒットするのは井浦新主演の映画で、原作は同年代の小説家佐伯一麦さんです。
旧暦の一月と七月の二十六日、この日の月の出は観音菩薩をはじめとする三菩薩が海から現れ、これを拝むと願い事が全て叶うといわれていたのだそうで、映画の詳細はググっていただくとして、中でも七月の二十六日は夏という季節の良さもあって大勢の江戸市民が路上や歌舞音曲が演奏される茶屋で月の出を待って夜更まで賑わう、街中がまさに江戸時代の「夏フェス」という様相だったとのことです。

 廿六夜待 高きに登り、又は海川の辺酒楼等に於て月の出を待つ。左に記せる地は、分て群集する事夥しく、宵より賑へり。

 芝高輪・品川此両所を今夜盛観の第一とす。江府の良賎兼日より約し置て、品川高輪の海亭に宴を儲け、歌舞吹弾の業を催するが故、都下の歌妓幇簡女伶の属(たぐい)群をなしてこの地に集ふ。

 或は船をうかべて飲宴するもの尠からずして、弦歌水陸に喧し。

 築地海手深川洲崎、湯島天満宮境内、飯田町九段坂、日暮里諏訪ノ社辺、目白不動尊境内、西南に向て月を看るに便りあしけれど、此辺の輩は集へり。

二十六夜の月は明け方近く東の空から上がるので、三田や高輪など海を東に望む東海道沿いの地域や八ツ山など品川周辺の高台は大変な賑わいだったようで、一部の富裕な商人などは海に舟を出し月を眺めたりしもしたそうです。

そんな日に起きた商家の若旦那と花魁との心中事件、二人の遺体を葬ったお侍の行方と事件の背景とを描いた「二十六夜待」を少し変わった朗読劇スタイルで上演します。

EPSON MFP image

夏月夜十景 第七景

タイトルのことを少し。

夏と月を入れたタイトルにしたいと思っていました。

劇中の佐々木喜善の津波の話、ドラマの「二十六夜待」どちらも「夏の月」が共通していることからなのですが、あれこれ思いを巡らせていると、以前上演したお芝居で「トーキョーJCT(ジャンクション)」というタイトルをつけたことがありなかなか響きも良かったので、では「トーキョーMoon」はどうかと思いましたが、夏がどこかに消えてしまっていることに少し後で気づきました。

ならばと思い直したもののすぐに違うタイトルが浮かんでくるはずもなく「夏」「月」というワードで検索して遊んでいたらこんな俳句がヒットしました。

『蛸壺や はかなき夢を 夏の月』

「蛸壺」と「夏の月」かあ、とその組み合わせの唐突さに首をひねりながら作者はとみればなんと芭蕉でした。

とはいえ、句をいくら見つめても何も情景が見えてきません、謎解きのような思いで解説を読むと、この句は芭蕉が明石、須磨に宿泊した時に読んだ句だと書かれていました。

あ、それでタコなのか、蛸壺なのねと、なるほどなるほど、え、でも「はかなき夢を」ってなんのこと?と、一向によくわかりません。
するとお隣のサイトでこれは源平の一谷の合戦に想いを馳せ、蛸壺の中のタコが明日の我が身も知らずに眠っている姿に平家の姿を重ね合わせてもいるのであるよ、と解説がなされていて、ああ、そうか、それはかなりはかないなあ、そうか、平家とタコと鵯越かあ、すごいなあ、芭蕉と感心することしきりでした。

でも、だからって『蛸壺と夏と月』なんてタイトルは許されないし、どうしようか、でも、いいなあ、夏と月とさらに思いを深め、あれこれ思いを巡らせましたが蛸壺に匹敵するような言葉が埼玉在住の旅はおろかリモート仕事のため滅多に外出もしないような凡夫に見つかるはずもなく…。

まあ、じゃあ、蛸壺も含めて夏の月が照らし出すいろんな光景でいいじゃないかということからこちらのタイトルに軟着陸したのでした。

あまり由来の話にもなっていませんし、なんだかパクリと妥協の産物なのかもしれません、いえ、きっとそうです。でもここだけの話、少し気に入ってもいるのです。
今週末より開演です。お待ちしております。

しかし「ピクシブ百科事典」なぜほぼ同じ説明を二度繰り返すのか…。

夏月夜十景 第六景

今回は文庫にまとめられた怪談会の記録の一部と、怪談小説二編をドラマ化したものを女性講談師を案内人にしドラマアンソロジーとして上演するという趣向になっています。
会の記録の方は「予兆」と「震災」にまつわるものをリストアップし叙事的な組み立てをしています。
怪談小説の方は「平山蘆江」という明治末期から、昭和初期にかけて新聞記者として、晩年は大衆小説家として活躍した方の作品から選んでみました。

平山蘆江、あまり馴染みのないお名前かと思いますが、私もお名前を知ったのはつい最近のことで、それ以前は、和田誠氏監督の映画「怖がる人々」の中の一編「火焔つつじ」が印象に残っていたものの原作があるのか、監督のオリジナルなのかもはっきりしない、そんな記憶の仕方でした。

その後幾星霜、別件で朗読についての作品探しをしていたときに偶然「火焔つつじ」のタイトルを見つけ、作者の名前を知ることになりました。そして50秒後にはポチッとやって手に入れたのが「蘆江怪談集」。

同時代の風俗や社会情勢を巧みに取り入れた作品からいたってクールで現代的な花街もの、さらには江戸末期の時代物まで含めて1ダースほどが詰まった超お買い得商品でした。

中でも印象に残ったのが江戸末期の時代もので、昭和初期から見た江戸末期。それはちょうど令和から昭和中頃1960年代の景色に近い感覚なのかもしれないなと思うと不思議な気がし、親近感が湧く楽しい読書体験となりました。

今回はそんな作品の中から二つ、花街ものの「投げ丁半」、時代ものの「二十六夜待」を選びました。

「投げ丁半」では旅先で相部屋になった男女の機微を、「二十六夜待」では商家の若旦那と花魁の心中をすでになくなってしまった江戸時代の風習「二十六夜待」の一夜を描いた作品。

蘆江さんは神戸のお生まれというせいもあってか、ありがちな江戸情緒を振りかざさない実に写実的な文章で怪談を書かれます。乾いた怪談、というとおかしな言い方になりますが、現代にも通じる等身大の生きた人間の、哀しくて切ない物語を朗読劇として立ち上げ上演いたします。

夏月夜十景 第五景

この公演の案内を差し上げたところ、怪談は苦手なので今回は遠慮いたします、という方が私の知人以外にも一定数いらっしゃるようです。

そういう申し出があった際はやんわりとお気持ち煩わせてすみません、と詫びを入れた後に、けれども、うらめしやも怪奇現象も呪いの人形も丑三詣りも廃屋の降霊現象も除霊も宜保愛子さんもなにも出てきませんからどうかご再考くださいませ、とお気持ちを変えてもらうことに努めてはいますが、いいお返事はまだもらえていません。

怪談をやろうと決めたのは、常日頃から日常を写しとったお芝居から少しだけ距離をおきたいと考えているからで、それにうってつけの題材が「怪談」なのではないかと思ったからですが、いや、怪談の力、恐るべしです。

今回本当にやりたかったのはドラマとしての語りの面白さであり、朗読の可能性を今一度広げてみたかったからにほかなりません。

朗読劇を初めて上演したのは一昨年2021年のことでした。

経緯や詳細は当ホームページのアーカイブより「夏を歩く」をご参照いただければと思いますが、その時に初めて朗読や話芸(講談)を書き、演出をし、その面白さに目覚めたわけですが、その時は原爆というテーマの説明や描写が大半を占めることになりました。

そこで一番身近な「ドラマ」に焦点を絞ろうと思い、そのための装置として「怪談」を選んだというわけです。

確かに「怪談」は文字からしてなにかしら恐ろしい気配がします、幽霊、怨恨などと同じように、見つめていると只者ではない気配が文字から漂ってきます。

そんなことを思いながら手元にある怪談のアンソロジー本を引っ張り出してみますと、そこには、小泉八雲、内田百閒、森鴎外、吉行淳之介に大岡昇平など名だたる方のお名前が連なっているところを見ると魅力のある素材であるのもまた事実です。

怖くなければ怪談じゃないとは思います、思いますが、今回は正直それほど怖くありません。
あ、ネタバレすみません。

それは「怖い」の代わりに「不思議」、「哀しい」、「切ない」をキーワードに自分なりに話を選んだからです。
そうです、最初からこの世にないものの「怖さ」をお芝居の中心に置きたくなかったからです。「怖さ」はお芝居の大事な要素ですが、それは現実世界のものでないとただの絵空事だろうと思うからです。

で、そう考えたときに公演のメインに据えたいなと思ったのが、平山蘆江さんです。そんなに名前の知られた方ではありませんが、泉鏡花さんのようなあちらの世界の案内人、お化けの取締役という立ち位置ではなく、どちらかといえば芸事や、花柳界の生活、風俗を描いた方として語られることの方が多いお方です。けれどもその作品には「不思議」、「哀しい」、「切ない」が目白押しだったのですから。

明日からいよいよ七月、連休の入口12日が初日なっておりますので、お忙しいとは思いますが、ご調整のほどどうぞよろしくお願いいたします。

夏月夜十景 第四景


様々な方が参加した当時の怪談会の内容は実に多種多様なものだったようですが、ざっくりと大きく分けると、次の二つに分かれるようです。
一つは生の世界と死の世界が何かの力によって交差する、つまりは幽霊出現のお話、もう一つが予兆、いわゆる虫の知らせというお話なのですが、中には少ないながら例外ももちろんあって。。。
以下はその例外のような話になると思われますが予兆といわれればそうなのかもしれませんがなんだか訳のわからなさに笑ってしまいそうな感もあって劇中に取り上げたものです。
確かにエログロナンセンスの流行した時代ではあったのでしょうが、以下、小説家、岩野泡鳴のお話です。

今から二十年ほど前、姫路から出てきてドイツ語を勉強していた叔父の話で、いや、実はその二年後に癌で亡くなるのだけどね。その叔父に癌が見つかった時、祖母が変な夢を見たのだそうだ。叔父が突然訪ねてきて「離れの座敷のふすまを開けたら妹が、つまり僕の母なんだが、奥の間で真っ二つに斬られて死んでいた」と言ったと言うんだ。
それからしばらく経ったある日、また祖母が「口を開こうとした途端歯がガクッと抜け落ちたので、慌てて両手を当てたらなんとか受け止めることができた」という夢を見たそうで、聞かされた祖父は最初はなんのことだかわらずいたらしいけど、ほどなくしたら叔父が死んだそうなんだ。ところが死んでまもなく、母がちょうど姉を産んだ頃だったらしいけど、ある夜、ひょいとその叔父がやってきて、機嫌よく赤ん坊の姉をあやしていたと思ったら母に向かって「俺はこの子の弟になって生まれてくる」と言ったという夢を見たと父に話した翌年、母は孕んで秋に私が生まれてきたという。まさかとは思うが僕が気づかないだけで僕のどこかに叔父が隠れていたりするのだろうか…。

夏月夜十景 第三景

佐々木喜善さんを取り上げました。
水野葉舟さんという詩人の方の紹介で柳田國男さんと出会い自身の故郷に伝わる話を語り伝えたのが彼です。そしてそれが「遠野物語」として出版されました。最初は自費出版だったそうです。
柳田さんにに初めて会ったのは、明治41年(1908)11月4日のことだったそうで、喜善さんの日記には「学校から帰ってゐると水野が来て共柳田さんの処へ行った。お化話をして帰って」と書かれているとのこと。
訛りのきつい実直そうな青年の語るこの「お化話」を柳田さんは「すべて事実である」とした上で、文語調に改めて書き進めていったそうです。
以下、今回の朗読劇で抜粋した部分を紹介します。

女1 明治29年6月15日午後7時32分、岩手県上閉伊郡釜石町(現在の釜石市)東方沖200キロメートルの三陸沖を震源として発生した「明治三陸地震」。マグニチュード8.2から8.5の巨大地震であった。

     男1と男2、女3は退場。
     男3と女2は読んでいた本をテーブルの上に置き、違う本を手に取り読み始めた。

男3 夏の初め、霧のしきたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女はまさしく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
女2 死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山かげを巡り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。

女1 この日、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震前まで、一一五年間、本州に於ける観測史上最高の遡上高であった海抜38.2メートルを記録する津波が発生、甚大な被害を与えた。死者・行方不明者は2万1,959人、家屋流失は9,878戸、家屋全壊は1844戸、船舶流失は6,930隻であった。

     男3と女3は、読み終えた本をテーブルに戻した。

128年前のちょうど今頃。亡くなられた方のご冥福を祈ります。

夏月夜十景 第二景

100年に1度の怪談ブームが来るです。

今回の劇の背景にしたのは関東大震災を挟んで、明治維新の内戦、日清、日露、そして第一次大戦と大きな社会的な変動と動乱があった時代、つまりは、初の怪談であり「時代物」でもあるのです。

怪談文学の第一人者で今回ずいぶんとその著作のお世話になった文芸評論家の東雅夫さんによると「江戸の文化文政時代、鶴屋南北の四谷怪談や、幽霊や妖怪の浮世絵を描いた葛飾北斎などによる一大怪談ブームから、明治大正時代の柳田國男、泉鏡花、芥川龍之介、夏目漱石、小泉八雲ら文豪によるブームは社会的な不安と密接な関係があるように思われる」とのこと。

なるほど、社会情勢は東日本大震災をはじめ熊本、能登、それ以外にも各地で地震は頻発し、加えて与党の一方的な政治体制とそれに忖度し都合の悪い事実を伝えようとしないマスコミ、そしてガザやウクライナの一方的で終わりの見えない暴力、確かによく似ています。そのブームを意識してというわけではありませんが、個人的な「加齢」だけではないやはりある種の不安が根底にはあるように思います。

怖いが売りの怪談もそれはそれで結構なのですが、ここはひとつ旧暦のお盆の怪談を通して過去と結びつき、話に登場する幽霊のことを考えてこの現実を少し飛び越えてみるのはいかがでしょうか。
ちなみにお盆というのは旧暦では必ず満月の日にあたるようで、それが何を意味するのか、なぜ昔の人は月を死の世界として捉えたのか、そんなことも話を聞きながら少しだけ考えてみるのもいいかもしれません。

最後になりますが、東雅夫さんは5年前浅草「芸楽祭」で我々が上演した「七月の客人」で、作品が受賞した文学賞の選考委員長を務めていたというご縁もあり、前回同様に今回もご招待を考えています。

夏月夜十景 第一景

今回に至ったのはたまたま手にとった「鏡花百物語集」という文庫本からでした。
そこには怪談会での発言を元ネタにした鏡花の短編と、鏡花もたびたび出席した怪談会の記録が含まれていました。
鏡花の他に柳田國男、芥川龍之介、菊池寛に久保田万太郎、それから長谷川時雨に平山蘆江などの面々が名を連ねていました。
そのライブ感と会の虚実ないまぜになったような話の数々、そしてその怪しさとどこかおおらかな時代の雰囲気など、劇にするのにもうお釣りが来るほどの面白さを味わいました。
当初は、名札をつけてかいの模様をそのまま再現しようかとも思いましたが、やはりその辺の役者さんが芥川です、などと言ってもそれはあまりにおこがましいのでやはり一捻り。
会の発言記録と短編の怪談小説をドラマにしたアンソロジーに仕立ててみようと思い立ちました。
前半は会の記録から佐々木喜善をフィーチャーし話を組み立ててみました。
念頭にあったのは本に取りかかる少し前に起きた能登の地震でした。喜善も子供の頃三陸の地震を経験しています。そこに寄り添うような話を集められないかと思って進めていったので当然と言えば当然の帰結だったと思います。
災害の唐突さ、凶暴さ、そして喪失の哀しみをみていただける方々と共に感じられたらと思っています。
そして中盤は会の主催にも度々名を連ねていた都新聞(現:東京新聞)記者だった平山蘆江さん。蘆江さんの短編小説から花街を舞台にした艶っぽい話「投げ丁半」。
それから最後は「二十六夜」の信仰と江戸のその日の風俗を描いた心中もので「二十六夜待」。
少し昔の、それでもぐっと現代的で悲しく切ない、そんな怪談アンソロジーになりました。
真夏の入口、旧暦のお盆の怪談会をどうぞお見知り置きくださいますよう、お願い申し上げます。

PAGE TOP